11/8 嵐山近くのゲストハウスから出発です。
定番の嵐山
とりあえず、渡月橋に来てみました。
紅葉全盛にはちょっと早く、後方の山々の色付きがいまいちです。
名所としては有名ですが、私個人の感想で言うと、そうでもなかったです。
橋と川だけでは、ちょっと物足りない。
紅葉がきれいであれば良いものだったかもしれませんね。
竹林で有名な場所にも来てみました。
朝から観光客で一杯です。
結構、電柱と電線が目につきます。
人の少ない場所にも来てみました。
きれいはきれいですけれど、何か物足りなさがあります。
光の差し込み具合なのか、具体的にはわかりません。
ただ、何か物足りない。
落ち着いた奥嵯峨野
嵐山でもやもやとした感情を抱きつつ、奥嵯峨野まで進んできました。
この辺りは古い建物が並び、街並み保存地区となっています。
嵐山からも少し離れているので、人もほとんど歩いていません。
ここで寄ったのが、織物と陶器のギャラリーです。
陶器の照明や掛け軸が並んでいます。
そしてこの掛け軸、写真のようにも見えますが、織物です。
一般的な織物より約3倍多く糸を使用し描かれているため、解像度が高い表現ができるそうです。
陶器の照明も非常に薄く作られているため、光が透けて見え、独特の味わいがあります。
引き続きちょっと散歩します。
茅葺き屋根の建物もあったりするので、良い景観ですね。
私は嵐山よりもこちらの道の方が好みですね。
また、通り沿いにあるこのお地蔵さん達ですが、明智光秀が本能寺の変の戦勝祈願をしたものだとも教えてもらいました。
天下分け目の天王山
なんか見たことのある看板ですね。
そうです、先日ビール工場の見学を行った場所です。
また見学かと思われるかもしれませんが、そうではありません。
別の目的でこの辺りに来ました。
それがここです。
石碑があるだけですが、ここは本能寺の変の後の山崎の戦いで明智光秀が本陣として使用した場所です。
山崎の戦は、織田信長を打ち取った明智光秀と羽柴秀吉(豊臣秀吉)との戦です。
ここがビール工場のすぐ横にあります。
少し離れた高速道路下にも石碑があります。
ビール工場のすぐ近くです。
この辺りが主戦場となっていた場所です。
石碑の奥に見えるのが秀吉の本陣であった天王山です。
こちらの方向にはウイスキーの山崎蒸溜所があります。
つまり、ビールの明智対ウイスキーの羽柴です。
明智軍に対し羽柴軍は3倍ほど多い人数だったこともあり、羽柴軍の勝利となります。
アルコール度数を考えてもウイスキーの方が圧倒的に度数が高いですからね。
ストレート、水割り、ハイボールなど飲み方もいろいろありますし。
勝竜寺
ここ勝竜寺城は細川幽斎が改修した城郭です。
かなりきれいに整備された印象です。上
ところで、細川幽斎、覚えていますか?
先日、山城郷土資料館で行われていた「光秀と幽斎」の幽斎です。
そして、その細川幽斎の息子の忠興と明智光秀の娘の玉が婚姻をした場所でもあります。
子供同士を結婚させるほどお互いに信頼をしていたわけです。
その関係が崩れてしまったのが、本能寺の変です。
本能寺の変の後に戦いに備え、諸将たちに援軍を求めます。
しかし、光秀は援軍要請を断られてしまいます。
その中の一人が盟友であった細川幽斎です。
信長様の喪に服すとして剃髪し、光秀側にも秀吉側にも付かず、中立の立場で通しました。
そんなこともあり、秀吉と3倍程兵力差ができてしまいました。
おそらく、事前にそんなに根回しをしていなかったのではないでしょうか。
配下の武将達にとって信長は怖い存在であったとは思いますが、能力は優れていると認めていたはずです。
そんな優秀な国のトップを倒されてしまったら、なにしてんのってなりますよ。
もっと根回しかうまく行っていたら、もしかしたら天下は光秀のものだっかもしれませんね。
言い忘れていた事がありました。
この勝竜寺城ですが、光秀が最後に居城した場所です。
山崎の戦いに敗れてここに逃げてきました。
そしてここから坂本城に逃げている途中に、落ち武者刈りに遭い、命を落としたと言われています。
ここで締めの言葉書きたかったのですが、何も思いつかないので、きれいな紅葉の画像を貼っておきます。
お世話になります
また大阪の京橋に戻ってきました。
今日も泊まるのもここHOSTEL BUSHIです。
良いところなので大阪で泊まるならここにしてみてください。
実は昨日オーナーさんに連絡して、泊めてもらえると返事を頂いていました。
チェックインの時間が遅くなってしまったので、オーナーさんとは会えませんでしたが、毎度毎度お世話になります。
今日はそんなにお酒を飲む気はないので、スーパーの弁当とちょっとだけお酒を買い、共有スペースで食べてました。
最初は人がいなくて静かに食べていたんですけれど、どんどん増えてきたんですよ。
私以外はすべて欧米人。
こんな状態です。
私はくつろぎながら会話を聞いていました。
何を話しているのかはわかりませんが、英語だというのだけはわかります。
たまにフクオカとかヒロシマとかが聞こえるので観光地の話をしているのでしょう。
きっと英語が話せる人なら会話に入っていけるのでしょうね。
見ていると盛り上がっていてとても楽しそうです。
こういう時に英語が話せると、色々とチャンスは増えると思うんですよね。
もちろん、喋れないよりは喋れるほうが良いですから。
簡単な英会話が出来るだけでも違うと思います。
まあ、頭にぶち込める翻訳機があれば勉強しなくていいんですけどね。
誰か開発してくれませんか?
そんなことを思ってしまうHOSTEL BUSHIの夜でした。
ちょっと英語勉強してみるか?
おわりに
今日の移動 京都府京都市から大阪府大阪市
今日書いたもののほか、お世話になった方にも突然会いに行ったりもしました。
急だったにもかかわらず、快く会ってくれました。
そして、Tシャツ、ナイフ、ブランケットとお土産までいただいてしまいました。
ありがたく使わせていただきます。
今日も1日お疲れさま。また明日。
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