12/28 遅い起床です。
ゲストハウスで寝ると夜更かししてしまいますね。
起きたらもうチェックアウトの時間です。
急いで準備して、出発です。
小倉城
北九州市のシンボル、小倉城に来ました。
ここ小倉城は毛利氏が築城をしたことから始まります。
毛利の勢力は九州まで来ているんですね。
後に細川忠興が改修をし、天守もその時に建設されました。
現在のものはコンクリートで再建されたものです。
第一印象ですが「破風デカすぎ」。
破風とは三角の屋根のことですが、ほかの城では見たこともないくらいの大きさです。
もともとこんなだったのか調べてみましたが、そうではありませんでした。
もともとは破風のない4重5層の天守だったそうですが、再建の際につけてしまったそうです。
すっきりしてなく、ちょっとバランスが悪い。
なんで余計なものをつけちゃったんでしょうか。
何とも残念です。
世界遺産 八幡製鉄所
世界遺産に来ましたよ。
八幡製鉄所です。
ここ、入れないんですよ。
日本製鉄(旧 新日鐵住金 )の工場で、現在も稼働中なので外からしか見ることができません。
そのせいか、観光客は皆無です。
この赤レンガの旧本事務所の構内ツアーバスも以前はあったらしいのですが、施設工事のため、現在は休止中とのことです。
今はこの眺望スペースから見ることだけしかできません。
内部がどのような状態なのかは、VRで見ることはできますが、実際に入れないのは観光としては厳しいですね。
それでもこの場所は、日本の発展にとって大切な場所なのです。
こういう時はヒストリー、ストーリーを楽しむのです。
明治初期、日本の近代化のためには鉄製品が必要だったわけですが、技術が無く、鋼材を外国から輸入するしかありませんでした。
そうなるとやはり費用が掛かるわけで、日本政府としてはどうしても作りたかったのです。
建設するにあたって、建設場所の候補もいくつかあった中、八幡に建設することになりました。
その理由としては、海に近く海運に優れ、燃料となる石炭も近くの筑豊炭田から入手ができる。
また、広大な用地も安く手に入ることから最終的に八幡に決まりました。
そして日本の鉄鋼を支えていくことになるのですね。
八幡製鉄所の近くには初めて火入れが行われた場所が、東田第一高炉跡として保存されています。
この高炉は何度も改修されたものですが、ここが始まりの場所なのですね。
こちらは見学できますし、高炉の仕組みもパネルで展示されています。
韮山をはじめとする反射炉の構造から、かなり進化したなと感じました。
それでも反射炉から、このような高炉まで約50年程なんですね。
ストーリーとしてもだんだんと繋がってきて面白くなってきました。
こういったストーリーをたどっていくのも楽しいものですよ。
八幡発展の代償
八幡製鉄所をはじめとした工場で発展してきた八幡の街ですが、良い面だけではありませんでした。
そんな「暗」の部分を展示している環境ミュージアムにきました。
名前でお分かりですね。
八幡は工業で発展したことにより、環境が悪化しました。
1000もの工場が稼働していた八幡ですが、工場からの煙などにより、大きな公害が発生していました。
煤煙により、ぜんそくなどの病気になる子供たちが多くなるなど、目に見えて環境は悪化していきました。
このように雨どいはすすが溜まり埋まってしまうほどです。
瓦なども多くのすすが溜まります。
もちろん部屋の中にも入ってきます。
そんな状態で生活すれば病気になるのは当然です。
八幡の誇りであった「七色の煙」が害悪と認識されるようになりました。
また、海の公害も深刻でした。
これ、海の色ですよ。信じられますか?
洞海湾は工業用水でこれほどまで茶色くなりました。
有毒物質であふれ、生き物はもちろん住めない死の海となりました。
船のスクリューですら溶けるほどだったそうです。
空も海もこの状態ではまともに住むことはできません。
そこで、主婦達が立ち上がり、企業、行政に働きかけ、環境改善に取り組んでいきます。
企業もそれに応じ、汚染物質を取り除く施設を増設したり、生産工程を改善したりと様々な環境対策を行いました。
その結果、きれいな空と海が復活したのです。
発展ばかりが取り上げられがちですが、その裏にある代償についても知らないといけないですね。
快晴の青空だったら、良かったのですが、空今日の空は曇りがち。
まるで煙みたい。
おわりに
今日の移動 福岡県北九州市から宗像市
もう年の瀬ですね。
まだまだ実感がないのですが。
本当に年末なんですか?
今日も1日お疲れさま。また明日。
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