12/17 久々の雨ですね。
予報を見ると、一日雨だそうです。
停滞です。
今日は歩いて広島観光ですね。
広島城 またの名は鯉城
徒歩で行けるのはこの辺くらいですからね。
広島城まで歩いてきました。
橋を渡ったら二の丸です。
他の城郭ではあまり見られない、出城のような二の丸です。
復元された多聞櫓なども入れます。
食い違いの虎口を抜ければ本丸です。
本丸内には軍で使われていた施設の跡があります。
建物は原爆によって破壊されて、礎石のみが残っている状態です。
天守も見てみます。
まあ復元天守なので軽くですね。
原爆投下までは現存し、国宝となっていたそうです。
天守もまた原爆によって失われたものなのですね。
実はこの広島城ですが、別名「鯉城」とも呼ばれています。
鯉=carp。つまり広島カープの語源ともなっています。
水堀にも鯉はいますね。
堀に鯉がたくさんいたから鯉城と呼ばれた話もあります。
1945年8月6日
広島で欠かすことのできないものがありますね。
被爆という世界でも知られている凄惨な出来事です。
原爆ドームでは破壊力が凄かったことを感じられます。
壁は崩れ、鉄骨も大きく曲がってしまうほどの威力です。
横を流れる元安川には、水を求め多くの人が入り、亡くなったそうです。
一般的に爆心地と思われている原爆ドームですが、本当の爆心地は160mほど離れているこの場所です。
病院の横に爆心地を表す碑が残されています。
さらに少し歩き、平和記念公園まできました。
雨も強くなっていますね。
死没者追悼平和祈念館では被爆の体験記などを読むことができます。
被爆者も高齢になってきていますので、現実として年々減ってきています。
被爆者がゼロになった時にも、原爆の悲惨さを伝えるために、この体験記は非常に重要です。
実際に読んでみたり、映像を見たりすると、何とも言えない感情が生まれてきます。
広島に来た際は、時間を作り多くの体験記を読むことをお勧めします。
平和祈念資料館にも様々な展示がされています。
展示物で写真を撮ったのはこの一枚だけです。
原爆が投下されている時間で止まった時計。
何10万人もの人々の運命が大きく変わった瞬間です。
この原爆の犠牲者は14万人ともいわれています。
犠牲者の身に着けていた衣服も多く展示されていました。
焼け焦げた跡など、とても生々しいです。
写真撮影は可能ですが撮っていません。
この生々しさは、現物を見ないと伝わらないと思ったからです。
特に子供の衣服は印象的ですね。
10代前半で、まだまだ未来があるのにもかかわらず、一瞬の出来事によって人生が終わってしまった子たちの遺品は、言葉にはうまく表せませんが、心に刺さるものがありました。
おわりに
今日の移動 広島県広島市のみ
雨で停滞とはなりましたが、原爆の資料館などで時間をたっぷり使えたことは良かったことかもしれません。
先人たちの犠牲の上で今は日本は平和になっています。
私が生きているこの瞬間は、彼らが生きたいと願っても生きられなかった時間です。
私はせっかく頂いた命。大事に使います。
今日も1日お疲れさま。また明日。
にほんブログ村
コメント