12/20 今日は天気が良さそうなので、海沿いを走ってみたいと思います。
目的地は未定、気の向くままに進みましょう。
大畠の渦潮
岩国から南に移動してきました。
本州と周防大島を結ぶ大島大橋に来ています。
ここではなんと渦潮が見られるらしいです。
あまり期待はしていませんが、橋の上から見てみましょう。
確かに速い潮流です。
明石海峡に似ています。
大潮ではないと思われるため、大きな渦はありませんが、小さいものはいくつか見ることができます。
まずまずといったところでしょう。
ちなみにこの大島大橋は昨年、船がぶつかり水道管破裂が起こったところです。
周防大島の地名はそれで知ったのでしょうね。
完全に復旧したのは今年の7月です。
それまでは歩道の部分に仮設の水道管が敷かれていたため、交互に通行するしかできなかったそうです。
大変だったのは島に自転車で通う高校生で、時間が合わないと冬の寒さや夏の暑さに耐えながら、橋の上で待つしかなかったとのことです。
通るにしても、約1kmにもなる橋を自転車を押して通らなければなりませんでした。
ある意味貴重な体験をしたわけですね。
ハワイへの移民
周防大島に入り、珍しいテーマの資料館へ。
日本ハワイ移民資料館です。
ハワイには、日本からの移民が大勢いるのは、皆さんご承知のとおりと思います。
ただ、ここ周防大島の人が特に多いことはあまり知られていないと思います。
歴史は明治時代へ遡ります。
当時、ハワイではサトウキビ畑や製糖工場が増加し、人材不足となっていました。
それを支えるために各国に移民の要請をしていました。
その一つが日本です。
周防大島では人口増加により土地が足らない状態でした。
また、災害などもあり、食べるのも困るほどの生活状況でした。
そこで、多くの島民が移民への応募をしたのです。
移民というと永住のように思われますが、3年間の期間契約でした。
600人の予定に対し、日本全国で28000人の応募があり、その中から約1000人が第一陣として派遣されました。
周防大島出身者はその中でも1/3程を占めることにもなりました。
応募が多かった背景には給料面が大きいです。
日本で働くよりも5〜6倍賃金が良かったそうです。
食べるのにも困る状態からなんとか脱したかったのでしょう。
しかし、過酷な労働実態だったようで、1日10時間も働かなければなりませんでした。
他国の移民者が逃亡するなどしたなか、周防大島出身者は懸命に働きます。
しかし、給料は高いがそのぶん物価も高く、裕福とは言えない生活でした。
その中でも、日本に残した家族に対し仕送りをしています。
3年間の期間を終え、帰国する人だけでなく、ハワイにそのまま残る人もいました。
ハワイの言語も話せるようになりルナと呼ばれる現場監督になったり、自分で事業を起こしました。
その方たちが今の日系人の祖先にあたります。
この資料館では、移民のデータベースもあり、ハワイ移民の子孫たちが自分のルーツを調べに訪れることも多いそうです。
実際に移民として渡航した人たちのエピソードも読んでいて面白いです。
多くの財を得て成功した人、過酷な労働がただただ辛かった人など様々です。
私はハワイに行った事はありませんが、これを知ってから行くとただの観光とはまた違った楽しみも出てきそうです。
ハワイに行ったときに、きっと周防大島のことも思い出すのでしょうね。
おわりに
今日の移動 山口県岩国市から柳井市
気が付いたらもう金曜日です。
今週末は都市部やいわゆる観光地にはいかないでしょうから、問題はなさそうですね。
今日も1日お疲れさま。また明日。
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