[日本一周]79日目 岐阜 岐阜~

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9/26 晴れてますので観光には絶好の天気ですね。

岐阜の守り神

まずはここです。

伊奈波(いなば)神社です。

岐阜城のある場所は金華山と呼ばれていますが、以前はは稲葉山と呼ばれていました。

そんな、岐阜の守り神の神社に行ってきます。

朝なので人は少ないです。

まずは参拝を済ませます。

拝殿近くには逆立ちしたような逆さ狛犬という珍しいものもあります。

撫でると、金運や勝運がアップするそうです。

そして、黒龍神社という神社も。

ここは願えば何でも叶うそうでパワースポットとして知られています。

お参りも済ませましたし、あそこに行きましょうか。

堅城 岐阜城

山登りですね。

ずいぶん高い所にあります。

いくつかルートはありますが、当時の大手道として使用された七曲りで登ります。

はじめはこんな緩やかな道です。

途中からは石段に変わります。

徐々に傾斜も出てきました。

ロープウェイの駅からは整備された道ですね。

そして見えてきました岐阜城。

天守からの眺めはすごいですよ。

高さ300mまで上ってきましたからね。

信長になった気分です。

実際、信長の時代には天守はなかったそうですが。

 

下りは別のルートで帰ります。

めい想の小径です

こちらは岩場ですね。

この岩は放散虫の化石からできたチャートという岩です。

岐阜城の石垣もこの岩から切り出したものです。

ずっとこんな岩場を中腹まで歩きます。

すれ違う人は、かなり息切れをしています。

岩場で登りづらいのもあり、大変そうですね。

中腹を過ぎれば、一般的な登山道ですね。

道の横にはこんなありがたい言葉の書かれた看板もいくつかあります。

下に降りてきましたが、最後に行く場所が、信長が当時住んでいた居館跡地です。

ここに宮殿のような建物が建っていたそうですよ。

いつか再建してくれませんか?

たった一日で城が?

墨俣という所に来ました。

ここにもお城があります。

墨俣一夜城です。

岐阜が斉藤氏の稲葉山城だった頃、美濃攻めの拠点として、ここ墨俣に城を築こうとしました。

しかし、斉藤家の攻撃に会い、何度か失敗してしまいます。

そこで、木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が中心となって、たった1日で城を築いてしまったという話が残っています。

城とは言っても、現在の天守とは異なり、このような砦のようなものですが。

どこまでが事実か異論はありますが、それはいいでしょう。

ここが重要なところだったという事実のみで十分です。

西軍の本拠地 大垣城

大垣城は関ヶ原の戦いでは西軍の石田三成が本拠地としていた場所です。

天守は戦争前までは国宝となっていましたが、空襲で消失してしまいました。

今の天守は空襲で消失される前と同じ外観で作り直したものです。

中の資料館は関ヶ原の戦いにまつわるものが多いです。

家康と三成、双方の考えなどが書かれていて、どういう流れで戦に至ったのかが面白いところでした。

三成は、家康が粛々と進めていた計略に、見事にハマってしまったんですね。

その現場は明日見に行くことにしましょう。

おわりに

今日の移動 岐阜県岐阜市から垂井町

今日行った岐阜城ですが、すごいのは見晴らしでした。

今は建物が多く建っていますが、昔は周辺地域はすべてみることが出来ていたと思います。

進軍状況も一目瞭然だったでしょう。

20km以上離れた大垣城でも岐阜城を見ることが出来ましたから。

明日は天下分け目の関ヶ原から琵琶湖に抜ける予定です。

今日も1日お疲れさま。また明日。

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だいじだっぺ

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