9/28 雨予報だったはずが、今日は天気良さそうですね。
普通にいろいろ周れそうです。
姉川の戦い
今日も古戦場です。
浅井・朝倉対織田・徳川で行われた姉川の戦いの舞台です。
この浅井家なんですが、ちょっと思い入れがあります。
私が戦国時代を好きになったきっかけのゲーム「信長の野望」で初めに選んだ大名が浅井家でした。
本当なら、地元の常陸や下総の大名を選びたかったのですが、ファミコンのソフトで、東は相模の北条までしかありませんでした。
そこで、どこにするか悩みました。
なぜかはわかりませんが、「琵琶湖だな」とピンときて、浅井家を選んだのでした。
その頃は浅井家が織田家と喧嘩しているとは知りませんでしたが、壮絶な戦いをしています。
浅井家の当主である浅井長政は、織田信長の妹である市を妻にしていたので同盟関係にありました。
ある時織田家は越前の朝倉家を攻めようとしました。
浅井家と朝倉家は古くから同盟関係であったため、長政も悩んだでしょう。
織田家との同盟を破棄し、戦争になってしまいます。
そんななか行われた大規模な戦いが姉川の戦いです。
この姉川の北側が浅井・朝倉の布陣した場所です。
ここにはとんでもない武将が参戦しています。
朝倉家の真柄直隆という武将です。
大太刀を振りかざし、兵士をなぎ倒していったそうです。
これ、熱田神宮に置いてある実物です。
長さは2m以上、重さは4.5kgと一般的な刀と比べるとけた違いです。
そんなとんでも武将の活躍もあってか、はじめは浅井・朝倉勢が優勢だったようです。
しかし、横槍を入れられたりすると織田・徳川勢が巻き返し、最終的にはそのまま押し切られ織田・徳川勢の勝利となります。
現在も、姉川の北の浅井・朝倉側には血原や血川といった地名が残っています。
織田勢に押し切られ、北側で多くの血が流れたのでしょうね。
横山城
浅井繋がりでもう一つ。
順序は逆になりますが、姉川の戦いの要因となった場所に行きます。
この神社の右手から登っていきます。
はじめは普通の登山道です。
20分くらい歩くとこのような地形が見えてきます。
城の堀の跡です。
山頂には横山城址の石碑があります。
この城は姉川の戦いの前に、織田、徳川勢に攻められています。
ただ、本当の目的は浅井家の堅牢な小谷城からおびき出し、野戦に持ち込むためでした。
その思惑通りに事が進み、姉川沿いで野戦となったのです。
その後の小谷城攻めの時にも前線基地として利用されました。
今は木があるので小谷城方面の見晴らしは良くありませんが、当時は木を切っているはずでしょうから容易に見ることができたでしょう。
こうやって見晴らしてみると重要な拠点であったことが理解できます。
石田家
横山城の麓には石田という地名があります。
ここは石田三成が生まれた場所です。
石田家の跡地は石田会館として公民館兼、資料館となっています。
関ケ原の戦いで石田三成は破れてはしまいましたが、地元の方にとっては英雄のような存在であることがわかります。
鉄砲産地 国友
長浜市の国友に来ました。
ここは日本一の鉄砲産地だった場所です。
室町時代に種子島に鉄砲が持ち込まれたのですが、幕府が鉄砲造りを命令したのがここ国友です。
そんな鉄砲について、ここ国友鉄砲の里資料館で学んできます。
まず、鉄砲はどう作っていたかわかりますか?
私は知りません。
それが展示してあります。
これが鉄砲の銃身の制作方法です。
下から上への順番です。
驚きました。鉄砲の銃身は鉄板を叩いて作るんですね。
鉄板を叩いて筒状にし、細い鉄板でさらに周りを囲いながらかたちを整えます。
ある程度かたちになったら重心の曲がりを調整します。
ここまでが鍛冶師の仕事です。
土台は別に台師が作ります。
このように木を削り出しかたちにしていきます。
そして、からくりと呼ばれる引き金などの機械部は金具師が作成します。
一人ですべて作るのではなく、分業制でやっていたのですね。
資料館では火縄銃を触ることも出来ます。
ある程度かたちになっていますか?
これ結構重いです。
ずっと構えているのも辛いですが、戦に持っていくのに担いでいくのも大変そうです。
この国友の街ですが、街の中はこのような表示がたくさんあります。
鉄砲を制作していた家の屋敷跡です。
そこら中にこの石碑が建てられています。
江戸時代の全盛期には国友で70件以上の鍛冶屋があり、500人ほどが働いていたそうです。
日本一の鉄砲産地だったことも納得です。
平和になってからは、戦が減り鉄砲の需要が少なくなってきたので、鍛冶屋時代の技術を活かし、彫金師として金工細工を行っていたりもしたそうです。
おわりに
今日の移動 滋賀県長浜市のみ
これから滋賀県のどこに行くかですが、琵琶湖を周ろうかと思っています。
琵琶湖の西側は何あるかわかりませんが、行ったらなにか見つかるでしょう。
今日も1日お疲れさま。また明日。
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