[日本一周 後半戦]197日目 宮城 南三陸~

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10/24 昨晩の寝床は津波の被災地域。

震災当時は瓦礫の山だったりしたのでしょうね。

そういえばなんか膝が少し痛い。

疲れが溜まっているんだろうな。

今日は進むとして、明日はゆっくりしようかな。

神の割った岩

久々に震災遺構ではない場所に来ました。

神割崎という場所。

大きな岩の割れ目。

言い伝えでは雷がこの岩を割ったとか。

でも多分違くて、普通に波による浸食だと思う。

隣にはこんな岩も。

板状節理ですね。

左右から次々と波が押し寄せてくるので、それを見ているだけでも楽しい。

たまには景勝地も見ないとやっぱり刺激が足りない。

助けられたであろう多くの命

今度は震災遺構の大川小学校です。

ここも有名な場所。

高台に逃げるでもなく、児童たちが校庭でひたすら待機し続け、結果逃げ遅れて多くの犠牲を出した場所です。

亡くなった児童の数は全校生徒108人中74人。

大きすぎる犠牲。

この校庭が児童が待機指示を受けていた場所。

なんと避難を始めたのは津波到達のたった1分前。

地震発生からそれまで50分近くあったのに逃げることはしませんでした。

逃げる方向も山側ではなく川の方。

結局、川の堤防を越えた津波によって大勢の児童が亡くなりました。

ちなみにここが児童たちが避難するために目指した場所。

特に高台でもない場所。

津波到達点を見ればここに避難していても無理だったことがわかります。

助かった人はこの工程の奥の山に登った人。

ここにも津波到達点の表示があります。

ただ山と言ってもちょっとした坂を登るだけ。

登れば足場もしっかりしている。

上から学校を見てみればわかるこの近さ。

それこそ校庭から1〜2分もあれば来れる場所。

なぜここに避難をしなかったのか。

亡くなった児童の親達の心境は計り知れません。

学校の対応が悪かったというのが一番の原因ですが、それでも児童たちが助かる方法は無かったのかなと考えさせられます。

基本的には先生の言うことは守った方が良いけれど、今回のように間違うときは間違う。

だからといって先生の言うことは信じるなというのも違うし、子供に自分で考えて判断しろというのも酷だろう。

結局、正解は分からない。

私には子供はいないけど、子育てって大変そうだな。

おわりに

今日、走行距離が8000kmに到達しました。

多分、実家に帰るまではあと1000kmはかからないはず。

日数もあと2週間くらいでしょう。

日に日にもうすぐ終わるなという気持ちが大きくなってきています。

そういえば、紅葉ってまだ?

早く見たいんだけど。

今日も1日お疲れさま。また明日。


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