[日本一周]119日目 京都 宇治~

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11/5 家主に起こされて起床。

頭が痛い。二日酔いです。

昨晩は鴨鍋をいただきながら。焼酎をたらふく飲んで、シメの雑炊を食べたのは覚えています。

ただその後の記憶がサッパリです。

何か失礼をしていないでしょうか、大丈夫でしたか?

10円硬貨

宇治といえばここですよね。

平等院です。

10円硬貨に描かれているのはもう常識ですね。

これを建てたのは藤原頼通。

極楽、つまり天国のイメージだそうです。

見ていて感じたのが、この鳳凰堂、手前の池が重要ですね。

池があることにより、お堂の魅力が増します。

お堂だけだと、おそらく味気ないです。

鳳凰堂の名前にもなるくらいなのでこの鳳凰も重要なのでしょう。

長~いお堂

京都市内に入りました。

ここ三十三間堂も修学旅行の定番ですね。

ただ、何があったかは覚えていません。

覚えているのは長い建物だったことくらいですね。

実際、三十三間堂は120mほどの長さがあります。

はい、確かに長いです。

お堂の中に入ると1001体の観音像が並んでいます。

人間大の金色の千手観音がところ狭しと並ぶ姿は圧巻の光景です。

堂内は写真撮影不可なのでごめんなさいね。

観音像の顔つきもそれぞれ違っていたりするのも良いですね。

そして中央には本尊となる3mほどの千手観音が座っています。

有名なだけあって凄いところだったのですね。

また、各藩の弓術を競う通し矢が行われる場所でもあります。

こちらの西側の軒下で端から端まで矢を射るそうです。

そのためか矢で傷ついた痕跡が残っています。

そして、建物を守るために柱には鉄板も貼り付けられています。

矢の飛んでくる側だけにつけられているのも面白いところです。

鐘で変わる運命

三十三間堂の近くで、寄りたいところがありました。

方広寺というお寺です。

ここの鐘を見に来ました。

「なんで鐘?」と思われるかもしれませんが、この鐘は歴史を大きく動かした重要な鐘なのです。

もともとは豊臣秀吉が建てたお寺ですが、鐘は秀吉が亡くなった後に子の豊臣秀頼が作りました。

その鐘に書かれていた文字が歴史を動かすのです。

」「君臣豊楽」

家康の名前を分断し、豊臣を君主とするもので徳川家を冒涜していると言われてしまったのです。

いちゃもんをつけられた様にも思えますが、当時の常識ではとても失礼な事だったそうです。

これがきっかけで豊臣家と徳川家の関係が悪化し、大阪の陣で豊臣家は滅亡してしまうのです。

すごい場所だと理解してくれました?

あまり知られていない穴場なんですよ。

他にも奈良より大きな大仏があった場所でもあります。

お寺の奥に進んで行った先にあるのがその場所です。

今は公園となっていますが、秀吉はここに18mの大仏を造りました。

くの字型のベンチが大仏の台座の場所を表しています。

相当大きなものだったことがわかりますね。

ただし、地震によって倒壊したり、大仏の鋳造時に火災を起こしてしまったこともありました。

ようやく大仏が完成した時に、作られたのが先程の鐘です。

後は滅亡まで進んでいくのみです。

豊臣家が滅び、完成した大仏も後の地震で崩壊しました。

時代を大きく変えることになった鐘だけが残るというのも、不思議な運命ですね。

おわりに

今日の移動 京都府宇治市から京都市

京都の市街地は観光客が多いですね。

外国人も多く、「ここは日本か?」と疑うほどです。

京都市内で混雑しそうなところはあまり行かないと思います。

今日も1日お疲れさま。また明日。

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