12/5 さすが河川敷。
テントは水滴まみれです。
周り見てもちょっと霧のようにもなっていますし。
そして寒い。
早朝の気温は1℃でした。
寝袋から出られませんね。
足摺への道
テントの乾燥はもはや不可。
とのことで、濡れたまま仕舞ってしまいました。
テントは後で乾かすとして、向かうは足摺岬。
どうやら天気は良さそうなのでいい景色が見られるはずです。
なかなか良いですよ。
四万十川も青かったですが、海も青いですね。
足摺岬ではどんな景色が見られるのでしょうか。
岬に近づいて来たのか、岩場が目立ちます。
と思ったら、砂浜もあります。
天気のいい日にこんな場所でキャンプしたら気持ちいでしょうね。
四国最南端
四国の最南端、足摺岬にやってきました。
すんなり来たように思われるかもしれませんが、起伏が結構激しかったです。
体中汗でびっしょりとなっています。
さあ、足摺岬はどのような景色を見せてくれるのでしょうか。
曇ってしまっています。
空は雲でほぼ覆われています。
天気予報では晴れ一時曇りなんですけれど。
ほんの一瞬、晴れになるときはありますが、薄い雲がかかっているように思われます。
それでも、海の青さを感じることができます。
ちゃんと青い。
快晴であればもっときれいなはずでしょうけれど、及第点としておきましょう。
それにしても風が強くて寒い。
汗冷えもします。
岬を後にして、ちょっとだけ移動です。
海蝕洞
足摺岬からすぐ近くでした。
白山洞門という海蝕洞ですね。
波の力で削られた岩です。
大きさがわかりにくいと思いますが、高さ16m、幅17mとかなりの大きさです。
奥に見える海岸にも波で削られた跡がわかりますね。
ただ、寒いので移動します。
ジョン・マン
ジョン万次郎。聞いたことがあるはずです。
私も聞いたことはあります。
それで、何をした人ですか?
足摺岬には銅像もあります。
そこで時間もあるので、ジョン万次郎資料館に来ました。
ジョン万次郎は土佐清水の中浜で生まれました。
裕福な家庭ではなく、漁師をしていました。
万次郎が14歳の時、仲間たちと5人で漁に出た際に強風にあおられ遭難してしまいます。
そしてたどり着いたのが小笠原諸島の無人島「鳥島」でした。
その無人島で、143日間何とか命を食いつないでいました。
そこへやってきたアメリカの捕鯨船によって5人は救出されます。
必死に助けを呼ぶ姿です。
そして5人はハワイに送られるのですが、船長にも気に入られ、万次郎だけがアメリカ本土へまた船で移動することとなります。
万次郎には何か光るものがあったのでしょう。
そこでつけられた愛称が「ジョン・マン」です。
その後アメリカで英語や航海術など様々なことを学びます。
ただ、ある時日本に帰りたいと思い、船を購入して日本に帰国します。
当時は鎖国真っ最中なので、取り調べはされましたが、海外の知識を有する万次郎は各地で引っ張りだこです。
薩摩藩、土佐藩、幕府にまで取り立てられるようになります。
ここで万次郎が教えた海外の知識が、明治維新にもつながっていきます。
ただ、万次郎自身で何かを成し遂げたいと思わせるものがなかなか見つかりません。
「必要とされたから行くだけ」
という生き方だったのかもしれません。
それはそれで面白い生き方なのかもしれないですね。
本当の所はどう思っていたかはわかりませんが、「ジョン万次郎」なかなか面白い人でした。
ジョン万次郎がいなかったら明治維新も起きていなかったかもしれませんね。
おわりに
今日の移動 高知県四万十市から土佐清水市
今日は楽しい出会いもありました。
足摺岬で自転車で日本一周の方とお会いしました。
ツイッターで高知市辺りから近くにいるのは知っていましたが、会うことはありませんでした。
そのうち会うだろうなとは思っていましたが、今日、足摺岬でようやく会うことができました。
進行方向はほぼ同じですので、またきっと会うことになるでしょう。
一つだけ心残りがあります。
お接待するのを忘れてしまいました。
次また会ったときにお接待はすることにしましょう。
今日も1日お疲れさま。また明日。
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