[日本一周]157日目 愛媛 今治~

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12/13 天候はまずまず。

今日はしまなみ海道を通って尾道方面へ行きますよ。

しまなみ海道

しまなみ海道の始まりはここ、来島海峡大橋です。

ここを渡ろうとした時に、私と同じ様に荷物を積んだ自転車2人組に会いました。

外国人の男女コンビ。

英語で話しかけられドキドキしましたが、無視するわけにもいきません。

稚拙な英語でなんとか会話します。

彼らはアルゼンチン人のカップルで、世界中を自転車で旅しているそうです。

スタートはノルウェー、そこからロシア、モンゴル、韓国を通過し、日本に来たとのことです。

実は昨日、今治城に置いていた私の自転車も見ていたらしいです。

日本は長崎から入り、東京方面に向かっているそうです。

いい旅になるといいですね。

そんな彼らとも別れ、しまなみ海道を走ります。

橋の上からは芸予諸島の島々が見えます。

天気は良くて風もなく気持ちがいいです。

ただ、それぞれの島は起伏がそれなりにあります。

島と島を繋ぐ橋も様々です。

このようにアーチ型のものから、斜帳橋もあります。

橋と島の景色も良いです。

足を止めて眺めたくなります。

愛媛県と広島県の境目の多々羅大橋には鳴龍があります。

きっと橋脚で音が反響しているのでしょう。

手を叩いたり、声を出して遊びました。

夕方になるとまた、印象が変わります。

夜は夜できれいです。

日本最大の海賊

しまなみ海道の通る芸予諸島には、村上水軍または村上海賊と呼ばれる組織がありました。

その村上水軍についての資料館に来ています。

村上水軍は南北朝時代から戦国時代まで、瀬戸内海を牛耳っていた海賊集団です。

海賊と呼ばれているので、略奪を行ってはいましたが、それだけをしていたわけではありません。

このあたりの海域は潮流が速く、危険な海です。

その海を熟知している彼らは、案内役としても働いています。

また、通行証を発行し安全に航行が出来るように警護を行う、海の警察としての働きもしています。

瀬戸内海の秩序を守っていたのです。

貿易なども積極的に行っていたようで、城跡からは中国や東南アジアで作られた陶器や磁器が多く見つかっているそうです。

文化的な面もあり、茶や連歌などを行っていた資料も残されています。

こう見ていくと、一般的にイメージする海賊とはちょっと違いますね。

戦国大名とあまり変わらないように思います。

戦国時代といえば拠点となるお城も必要ですので、作っています。

ここは野島村上氏の野島城跡ですが、こういった島に砦のような城を築いていたそうです。

数としては芸予諸島で30ほどあったそうです。

いくつか島に渡って城跡を見るのもしてみたかったです。

武具の宝庫 大山祇神社

伊予国一宮、大山祇神社に来ました。

大きい神社は久しぶりです。

以前、滋賀でお会いした方から、ここは行ったほうがいいと言われていました。

御祭神は天照大神の兄にあたる神様です。

境内には大きな楠があります。

こちらは樹齢2600年と伝えられています。

3000年と書かれているものもあります。

拝殿でお参りです。

宝物館があるので行ってみたのですが、ここがすごい場所でした。

刀、薙刀、鎧などたくさんの武具が展示されています。

中には源頼朝や源義経が奉納したものもあります。

他にも重要文化財、国宝の武具がたくさんあります。

なんと、日本にある重要文化財、国宝の武具のうち4割がここ大山祇神社の宝物だそうです。

何も知らなければきっとここはスルーしていたと思います。

教えてもらったおかげで、貴重なものを多く見ることができました。

おわりに

今日の移動 愛媛県今治市から広島県尾道市

実はしまなみ海道を渡りきれていないんですよ。

橋の画像でわかるとおり、夜になってしまいました。

寄り道して遊びすぎましたかね。

今日は途中の島で泊まります。

本州入は明日ですね。

今日も1日お疲れさま。また明日。

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