1/5 昨晩は公園に泊まりましたが、夜は騒がしいバイクが走っていましたね。
寒い中よくやるなと思って、音だけ聞いていました。
ある意味尊敬します。
飯塚の山
今日は飯塚市の歴史資料館からスタートです。
ちょこっと炭鉱の歴史を学びます。
早速外に出ていますが、この山、炭鉱に関係ある山です。
忠隈炭鉱ボタ山というのですが、炭鉱というわけではありません。
「ボタ」の山です。
この「ボタ」は炭鉱で石炭を採掘するときに出てきた石などです。
石炭は商品となりますが、ボタはごみのようなものです。
それを積み上げた山があの山です。
道路上の看板には昔の写真が掲げられています。
山の高さは100mを越えるほどの大きさです。
ものすごい量を採掘していたのが、ボタ山を見ると分かります。
でもあの山は、ごみだけですからね。
石炭はどれくらいかというと、あの山と同じくらいです。
石炭とボタの割合は1:1程度だそうです。
あの量を採掘したとはなかなか理解しがたいですね。
それだけ、炭鉱業が栄えていたのを物語っています。
やはり、飯塚は炭鉱の町ですね。
チロルチョコ
道中見つけたこの看板、みんな大好きチロルチョコ。
このチロルチョコは田川市の工場で作られていたらしいです。
近くにはアウトレットショップがありました。
気になって入ってみました。
種類はいろいろありましたが、購入したのは2つです。
定番のコーヒーヌガーと限定品のミルクコーヒーもちです。
内容量はそれぞれ570gなので合わせて1140gです。
これで当分携行食には困らないでしょう。
筑豊は炭鉱の街
田川に来たのはここが目的でした。
田川市石炭・歴史博物館です。
やっぱり炭鉱です。
まだまだ炭鉱、石炭のことを知らないといけませんから。
これが石炭です。
黒い岩にしか見えません。
でももともとは植物ですからね。
ここ筑豊地域では江戸時代からこの石炭が薪の代わりとして使われていたそうです。
それほど身近にあったのでしょう。
はじめはこのような道具で手掘りで採掘をしていました。
この様なジオラマも展示されていましたね。
とても辛そうです。
後に機械化が進むのですが、機械化には資金力が必要です。
全盛期には筑豊地域の炭鉱の数は300か所もあったそうで、その炭鉱によって資金力も様々でした。
大企業資本の炭鉱は機械化が早く進みましたが、零細企業は手掘りで行うしかありませんでした。
そのため、筑豊地域では機械化された炭鉱と、手掘りの炭鉱と混在していたそうです。
ちなみに炭鉱夫が住む場所はこのような長屋です。
明治時代のものは寝られるだけの簡易的な住宅です。
時代が過ぎ、昭和になるとある程度快適になります。
それなりに生活は良かったのではないでしょうか。
外には人や石炭などを乗降させるための竪坑櫓が残っています。
そしてその動力源の蒸気機関のボイラーに使われた煙突もあります。
ここで展示されている物や、懸命に働いていた人たちのおかげで、八幡製鉄所も稼働できたはずです。
多い時は日本の60%程度の石炭を筑豊地域で採掘していたのですから。
筑豊地域の炭鉱は世界遺産としては登録されていませんが、明治時代の発展に重要な場所だということはわかりました。
逆になぜ、このあたりは登録されなかったのでしょうか。
おわりに
今日の移動 福岡県飯塚市から豊前市
今日の夕方の空です。
まるでミサイルを飛ばしたような空でした。
飛行機雲ができるときは天気が悪くなるんでしたっけ。
明日、雨降ったらいやだなあ。
今日も1日お疲れさま。また明日。
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