[日本一周]181日目 福岡 豊前~

1/6 だんだんと旅人モードに戻ってきました。

もう、本調子に近いですね。

大分方面に進みましょう。

城初め 中津城

ちょこっと走って大分県入りです。

今年最初のお城は中津城です。

黒田官兵衛が築城した城で、日本三大水城の一つとされています。

天守は萩城を参考にした模擬天守です。

模擬天守はあまり見てもしょうがないので、石垣を周ります。

改修の様子も見ることができます。

右の黒田氏時代で左が細川氏時代の増築分です。

横を流れる中津川沿いにも石垣が築かれています。

水城なのに川の写真を撮っていないですね。

天守の近くには後に城主となる奥平氏を祀った神社があります。

私の初詣ではここでした。

諭吉の家

中津城の近く、ここに福沢諭吉が住んでいた場所があります。

大阪で生まれたそうですが、育ったのはこの中津の城下町の中です。

もともとの住居は跡地となっています。

この隣にも住居があります。

ここにも福沢諭吉は住んでいたそうです。

住居の隣にある土蔵です。

ここが福沢諭吉の勉強部屋でした。

なぜかはわかりませんが、お賽銭のように小銭が置いてありました。

どうせ置くなら1万円だろうと思い、置いてみました。

写真を撮って回収しましたが。

旧居の横には福沢諭吉の生涯を学べる記念館もあります。

福沢諭吉は学ぶことが好きだったようです。

はじめは漢学、そして蘭学と学んでいきます。

蘭学の先生にもなり、横浜で外国人に話しかけますが、勉強したオランダ語がまったく通じませんでした。

その外国人は開国後に来たアメリカ人だったのです。

そこで「これからは英語の時代だ」と考え、今度は独学で英語を勉強します。

後にアメリカやヨーロッパにも渡航し、さらに外国の先進的な仕組みを学びます。

英語の読み方や意味を書いた辞書も作っています。

ちなみにこの頃、福沢諭吉が教えていた塾が慶応義塾です。

名前の「慶応」はとりあえず元号から取っただけで、仮の名前のつもりだったそうです。

この慶応義塾で広めたものの一つに演説があります。

自分の考えを大勢に伝えることは当時の日本では行われていなかったそうです。

このことで、自由民権運動や議会の成立にも繋がります。

日本の発展に大きな功績をもたらしていたのですね。

そしてとくに有名なのが「天は人の上に人を作らず」から始まる「学問のすすめ」です。

後に続く文を読むと、単に人間はだれしも平等という意味だけでなく、「学ぶ人間と学ばない人間で差が出るよ」というのが福沢諭吉の言いたいことだそうです。

だから学問をすすめるのですね。

そう思うと、一度ちゃんと読んでみたくなります。

福沢諭吉がどんな人間を育てたかったかわかるはずです。

学生時代には理解できなかったことが、今は理解できるかもしれませんね。

ヤバい耶馬渓

景勝地、耶馬渓に来ました。

まずはこのきれいな橋、耶馬渓橋からです。

石造りアーチ橋では日本で最長の橋です。

8つのアーチがあるのも日本唯一です。

なかなか趣があります。

そして次が青の洞門と呼ばれるトンネルです。

この右側のトンネルがそうなのですが、実はこのトンネル、手掘りで掘られたものです。

禅海という和尚さんがノミと槌で掘り進めました。

外から見るとこの様な巨大な岸壁です。

禅海和尚は諸国遍歴でこの場所を通り、ある光景を目にします。

鎖の張られた断崖絶壁を通行人が通るのですが、難所のため命を落とす場面を見てしまいます。

その通行人のため、岩壁を堀りトンネルを作ることを決意します。

途中に明かりを採るために穴もあけています。

この様に岩をひたすら掘り進め、長さ342mのトンネルを作りました。

費やした期間はなんと30年にもなったそうです。

人のためにという執念ですね。

この青の洞門を抜けた先が景勝地、競秀峰です。

迫力のある岸壁ですね。

この競秀峰ですが、福沢諭吉が愛した場所でもあります。

福沢諭吉はこの景観を大変気に入っていました。

ある時、この競秀峰の土地が売買されることを聞いた福沢諭吉は、この景観が壊されることを不安に思い、土地を購入したほどです。

自然保護の先駆けともいえる行動です。

福沢諭吉は教育だけでなく、自然保護も行っていたのですね。

異国感漂う羅漢寺

耶馬渓を先に進みました。

看板で分かる通り、羅漢寺に向かっています。

羅漢寺は山の中腹にあり、リフトに乗ってもいけるのですが、旧参道と見たら行くしかないでしょう。

この羅漢寺が先ほどの青の洞門の作られるきっかけになったお寺です。

あの断崖絶壁で命を落とした通行人の目指していた場所です。

石畳の道を進んでいきます。

この様に苔むした道は古道の雰囲気を感じることができます。

参道沿いにはこのように壊れている石仏が多く見受けられます。

人為的に壊されたように見えます。

明治の廃仏毀釈によるものかもしれません。

この様な石仏も独特な雰囲気を醸し出しています。

山門まで来ました。

ここをくぐって先に進むのですが、ここから先は撮影は禁止されています。

理由としては「撮影したいと思う欲すら捨てろ」ということみたいです。

神聖な場所で仏様に対面するときは、煩悩を捨てなければなりませんからね。

納得のいく真っ当な理由ですね。

実際この山門をくぐった先は、雰囲気が変わります。

急な石段の参道となっていてすごく神秘的な雰囲気です。

石段を上った先には五百羅漢があります。

羅漢とは最高の悟りを得た聖者のことです。

その石像が巨大な岩窟に500体も並んでいる圧巻の光景が広がります。

これを拝んで得を得るためにあの危険な岸壁を進んでいたのですね。

羅漢寺の本堂も岩窟に接するように建てられ、どこか異国感を思わせるような光景です。

その光景を見ながら欲を捨てて仏さまと対峙します。

何とも気持ちのいい時間でしたよ。

写真で紹介できないことが非常に残念ですがご了承ください。

行ってみると私の言っていたことがきっとわかりますよ。

おわりに

今日の移動 福岡県豊前市から中津市

せっかく中津にやってきたので、夕飯はから揚げを食べます。

から揚げは私の好物でもあります。

寝床予定地では別のチャリダーとも出会い、夜まで話をさせてもらいました。

晩酌してるチャリダーは珍しいなんてことも言われてしまいました。

今日も1日お疲れさま。また明日。

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