[日本一周]72日目 愛知 瀬戸~

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9/19 朝起きたら、きれいな秋晴れです。

風も涼しくて気持ちがいいです。

空を見上げて雲が流れるのを見ていたり、道の駅の営業準備風景を眺めていました。

もう、夏も終わりですね。

ただ、気持ち良すぎてゆっくりしすぎましたね。

出発は10時過ぎになってしまいました。

焼き物の街 続き

昨日の続きで瀬戸の焼き物探索です。

まずは洞地区の窯垣の小径です。

窯で使用した道具を利用して作られた垣根です。

全国でもここでしか見られない光景です。

使用されているものは、窯で使えなくなった道具のほかに、練習台として作られたものも窯垣の材料となっているそうです。

そして、この洞地区にはかつて使用されていた登り窯も残っています。

窯の内部も見ることができました。

その後は染付の工芸館です。

ここは瀬戸の焼き物の中でも、19世紀の初め頃から生産された瀬戸染付の展示室です。

この様な磁器に呉須と呼ばれる絵の具で絵付けをしたものです。

輪郭線をあまり描かず、水墨画のように濃淡をつけて絵を描いていくのが特徴です。

その後も現代作家の作品が展示、販売されている工芸館に行ったりしました。

そのほか、品野の道の駅や昨日の瀬戸蔵にあるお店で、いろいろな焼き物を見ました。

まあ、持ち帰りができないので、購入はしませんでしたが、普通の旅行であれば買っていたかもしてませんね。

湯呑は黄瀬戸、茶碗は織部。

これが今日見た中のお気に入りです。

長久手

瀬戸の隣、長久手にやってきました。

この公園は、愛知県の小牧やここ長久手で行われた戦の跡地の1つです。

いつも通り資料館で勉強もしたかったのですが、この有様です。

資料館は今年の5月で閉館し、見ることができません。

新しくできるのも、令和4年だそうです。

こうなったら、自分でいろいろ調べるしかないですね。

とりあえず豊臣家と織田家・徳川家が戦ったということは知っています。

そこでちょっと調べてみました。

織田信長が本能寺の変で亡くなったあと、豊臣秀吉が権力を握りました。

それを信長の子である信雄がよく思わず、家康を味方に着け、豊臣家に対する包囲網を構築していました。

そんな中、豊臣側に味方した池田恒興が織田家の犬山城を攻めたことから戦が始まります。

犬山、小牧付近で戦闘があった後は膠着状態になったため、池田恒興が作戦を考えました。

小牧山城に家康が居る間に家康の本拠の岡崎城を奇襲しようと。

しかし、奇襲作戦は事前に察知され、ここ、長久手で大規模な戦闘となりました。

結果は徳川軍の勝利でした。

そして、豊臣軍の武将が戦死したとされる場所に石碑が建てられています。

一人目 池田恒興

2人目 池田之助

3人目 森長可

また、近くには徳川方の長久手城の跡地もあります。

かつて戦があったこの辺り一帯は、住宅地となっています。

何も知らなければ戦があった場所だとはわからないでしょう。

安心して暮らせる世の中になったことは良いことです。

そのおかげで私は遊んでいられますから。

おわりに

今日の移動 愛知県瀬戸市から長久手市

そろそろ名古屋に行きたいところですが、ちょっと問題があります。

今週末からの3連休ですが、全て雨の予報です。

泊まるにしてもよく使わせてもらう道の駅は名古屋にはなく、連休のためゲストハウスも予約は取れなさそうです。

残るはネットカフェくらいしかありません。

どうするのか考えながら明日は動かなければなりませんね。

めんどくさいな。

今日も1日お疲れさま。また明日。

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だいじだっぺ

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