[日本一周]100日目 和歌山 串本~

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10/17 お酒飲んだ翌日は腰が重くてなかなか動き出せないですね。

昨日使ったままの調理器具も洗わないといけないんですが。

風も強くて、更に動く気をなくします。

撤収時間もないのでテントの中でとりあえずくつろぎます。

本州最南端

潮岬は本州の最南端なんです。

そして、昨日泊まった潮岬キャンプ場のすぐ隣です。

テント片付けて、荷物も積みましたのて向かうだけです。

とりあえず、写真だけ撮りました。

やる気のない顔です。

感情がそのまま出てますね。

紀伊大島

潮岬から東にある紀伊大島に渡りました。

東の突端にあるトルコ記念館に来たかったんです。

それにしても強い逆風で傾斜も結構あったので疲れてしまいました。

ここ紀伊大島とトルコの関係ですが、明治時代オスマン帝国(現・トルコ共和国)の使節団が日本に来たことが大きな要因です。

その使節団の船の名はエルトゥールル号。

なんとか日本にたどり着き、死者としての役目を果たしましたが、これから大変なことが起きます。

トルコへの帰路を進んでいた際に、熊野灘で台風に遭遇し、船は操縦不能になってしまいます。

エルトゥールル号は操縦不能のまま流され、最終的にここ紀伊大島沖で座礁し沈没することとなります。

ちょうどこの船甲羅と呼ばれる岩のところです。

記念館の窓に船のイラストがあり、写真を撮れるようになっていました。

座礁した時はきっとこのような感じだったでしょう。

そして船は木造で水蒸気爆発もしたそうですから木っ端微塵となります。

船員656人が荒れ狂う海に投げ出され、運良く助かったのはたった69人のみです。

その時、ここ紀伊大島の住民が、救助をしたり、自分たちも困窮している中、助かった方達に食料を分け与えたりもしました。

その後生き残った方は日本の船により、無事にトルコヘ送られました。

この時の日本の対応にトルコは感謝をし、親日国となっています。

以前はトルコの歴史教科書にこの事件が取り上げられていたこともあったくらいトルコでは有名な話です。

そんな日本とトルコの関係を学べる場所でした。

海金剛

キャンプ場近くのジオパークでここは必見と教えてもらいました。

ピラミッドのような岩が並んだ光景。

朝鮮半島の金剛山に似ていることから名付けられたそうです。

景観は良かったのですが風が強かったです。

強風の為、海は荒れ模様。

そして、ポツポツと雨も。

きっと晴れなら、もっといいものだったでしょう。

江田海岸

大島を出て西に進みます。

凄い海岸が見えてきました。

江田海岸という場所です。

何枚もの板が斜めに重なったような地形です。

これ、銚子で見たような気がします。

ただここの方が一つ一つの層が薄くのこぎりの歯のように見えます。

またこのようにS字型に折れ曲がったところもあります。

褶曲と言うらしいです。大地の力はすごいですね。

地面さえもグニャグニャに曲げてしまいます。

そしてなぜか一つだけある、謎の岩。

これもまた、自然の生み出した不思議なモニュメントです。

さらし首

江田海岸から少し進みました。

ここはまた変わったものを見せてくれました。

こんな岩です。

丸い岩が置いてあるだけと思いがちですが、地面と繋がっています。

その名も「サラシ首層」。

その名のとおりです。

さらし首がいくつか置いてあります。

転がっている石たちもきっと首だったのでしょう。

ちょっと離れるだけで全く違った地形になるんですね。

おわりに

今日の移動 和歌山県串本市からすさみ町

今日は足がへとへとでした。

風が強かったからなのか、坂が多いからなのか。

和歌山県南部はアップダウンが多くて足に来ます。

何度も自転車を押す羽目になりました。

また、自転車の変速もちょっと調子悪くなってきました。

ちょっと調整しなければならなさそうです。

今日は疲れたから明日やろう。

今日も1日お疲れさま。また明日。

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だいじだっぺ

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