[日本一周]117日目 奈良 大和郡山~

スポンサーリンク

11/3 快活から出発です。

快活クラブに泊まると、お腹があまり減っていないにもかかわらず、パンやポテトを食べちゃいます。

なんか、食べないと損した気になってしまうんですよね。

きっと貧乏性なのですね。

久々のお城

奈良でも城跡は行きますよ。

大和郡山城です。

戦国時代は筒井氏の居城でした。

天守台には神社があります。

藩主となっていた柳澤氏の神社ですね。

神社の奥が天守台です。

石垣が積まれていますが、あまりきれいに積まれている感じがしないです。

言い方が悪いですが雑に感じます。

この大和郡山城には築城時に石材が不足していたようで転用石があります。

有名なのは逆さ地蔵です。

お地蔵さんの顔が確認できます。

内堀沿いも歩いてみます。

こちらから見る石垣はバランスがよく見えますね。

櫓の跡かと思っていましたが極楽橋という橋がかがっていたようです。

ここにもお寺から運んできたと思われる転用石があります。

梵字が書かれているので、どこかのお寺から運んできたのでしょう。

水堀の所も石垣がしっかりしていますよね。

天守台と作られた時期が違うのですかね。

ちなみに、お城ではお祭りもやっていました。

出店が出ていたり、太鼓の演奏もしていました。

お城を出て、ちょっとだけ寄り道です。

ここ大和郡山城は豊臣秀吉の弟の秀長が治めていた場所でもあります。

亡くなったのもここ大和郡山なので、城跡の近くにはお墓もありました。

金魚の街

大和郡山市には名産品があります。

それが金魚です。

ここに来るまではすっかり忘れていました。

自転車で走っているときに池があったので見てみたんです。

そうしたらこのように金魚がいたので思い出しました。

ここ大和郡山市は金魚の養殖が盛んに行われており、シェアは60%にものぼります。

街には普通は目にしない金魚屋さんもあります。

マンホールも金魚です。

どうやらここで金魚の養殖が盛んになったのは、藩主の柳沢氏の影響のようです。

柳沢氏が甲府からこちらへ来るときに金魚も持ち込まれ、その後、藩士や農家が副業として養殖を行うようになったそうです。

昔、金魚すくいで取った金魚は大和郡山のものだったかもしれませんね。

剣聖の里

大和郡山から進み、山間の街に来ました。

柳生です。

表題はそのまま使わせてもらいました。

柳生といったら柳生新陰流ですよ。

その始祖である、柳生石舟斎のいた場所です。

まずはここ、天石立神社から。

4つの巨石がご神体という神社です。

岩もすごいのですが、別の意味もあります。

ここは剣術の修業の場でもあったといわれており、珍しいものがあります。

一刀岩と呼ばれるものです。

柳生石舟斎が天狗を相手に修行をしていた時に、天狗と間違えて切った岩だそうです。

まさに一刀両断ですね。

柳生家にまつわる場所にも行ってみます。

柳生家の菩提寺の芳徳寺というお寺です。

もともとは柳生家の治める城でもあったそうです。

もみじが赤く色付いてきました。

もうそろそろすると紅葉の時期ですね。

お寺の裏には柳生一族の墓石が並んでいます。

徳川家の剣術指南役を務めた柳生宗矩です。

柳生十兵衛こと柳生三厳。

ひときわ小さいのが始祖の柳生宗厳(石舟斎)です。

お寺には資料館もありました。

練習に使うと思われる袋竹刀などがあります。

こちらの巻物は秘伝書でしょうか。

この様に秘伝の技が書かれているものもあります。

私にはどういった動きかはわかりませんが、見る人が見ればわかるのかもしれません。

解読できれば柳生新陰流の使い手となれたのに残念です。

おわりに

今日の移動 奈良県大和郡山市から京都府和束町

柳生の後は県境を越えて京都へ入りました。

こんな滝も見られました。

木津川沿いにある笠置キャンプ場はものすごい混雑具合です。

私は別の所に泊まりましたけれど。

今日も1日お疲れさま。また明日。

コメント