[日本一周]28日目 群馬 太田~

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8/6 晴れです。今日の予想最高気温38℃ですか。

新1万円おじさん 渋沢栄一

先日、新一万円札の肖像が渋沢栄一に変わると報道がありましたね。

そこで今日はその出身地である、埼玉県深谷市に来ました。

渋沢家はもともと、ここ深谷市で養蚕を行ったり、藍染めの材料となる、藍玉を製造、販売する家系でした。

そこで生まれた栄一は、おもしろい人生を進みます。

仲間とともに、高崎城乗っ取りのための計画を行うが、実行直前でやめたり、そのご、逆に徳川慶喜の家来として、幕府側としてフランス留学に行ったり。明治維新が起こってからは、新政府の大蔵官僚になったりと立ち位置が次々と変わっていきます。そしてその後は、現在でも多く残る、名だたる企業を約500ほど創設し、現代の日本の経済の基礎を作りました。世界遺産である富岡製糸場を建設した人物でもあります。

晩年に入ると教育、特に人材育成に力を入れていたそうです。

全体を通して、未来、将来を見ている人だと感じました。この先の時代をより良いものにするため、どうすればいいのかを考え、それを実行していくことをひたすら行っています。

いつか、渋沢栄一のような問題解決力、実行力を持った人物になりたいものです。

近くの渋沢栄一の生誕の地にも行ってきました。

「中の家=なかんち」と呼ばれる家ですが、高崎城乗っ取りを中止してからはここには住んでおらず、妹夫婦が住んでいたそうです。

建物自体も後年に明治になって建られたもので、渋沢栄一が住んでいた土地とは異なっています。内部には当時の家の写真が展示されていました。

渋沢栄一の先生 尾高惇忠生家

こちらは渋沢栄一のいとこであり、先生であった尾高惇忠の成果です。

尾高惇忠はここで私塾を開いており、渋沢栄一も通っていました。

生涯にわたり、渋沢栄一との関係は強く、富岡製糸場の経営や渋沢栄一の作った銀行の支配人などにも携わっていました。

子に付近の名家であるため、建物は立派ですが、家の裏手に珍しいものがあります。

このレンガ造りの倉庫ですが、1階の屋根の上に上下逆さまの漢数字が彫られたレンガが、一周しています。

解説員の方も気になって調べているらしいのですが、いまだに理由はわからないとのことです。

理由がわかる人が居れば教えてほしいとも言っていました。

世界遺産 田島弥平旧宅

ちょっと移動し、伊勢崎市までやってきました。

こちらは、富岡製糸場とともに世界遺産となった場所です。

当時は蚕が病気になってしまったり、育成がなかなか難しかったようです。そこで、風通しを良くした「清涼育」という方法をここに住んでいた田島弥平が考えました。

そう2階の建物の上に櫓(やぐら)と呼ばれる小さい屋根があり、そこから、室内の暖かい空気を排出する方法です。

また、字の読むことができなかった人のためにもわかるようにイラスト付きの「養老新論」を書き、育成法を広めました。

こういった、新しい養蚕方法を生み出した功績で、世界遺産となりました。

現在でもこの家には田島弥平の子孫が住んでいるため、室内に入ることはできません。

休日には多くの観光客も訪れたりします。生活感が出ている写真にならないように洗濯物を外に干さなかったり、カーテンで室内が見えないようにしているそうです。

家の庭でさえプライベート空間ではないので、いろいろと苦労しているそうです。

ただ世界遺産の中に住んでみるという経験をしてみたいですね。

ちなみに、ここのすぐそばの学校跡地に案内所があるので、そこで資料見ながら解説もしてくれるので、そちらを先に行った方がいいのかもしれません。冷房もついているので、快適ですし。

少し涼しくなってから、玉村島で行き今日は終わりです。

おわりに

今日の移動 群馬県太田市から玉村町

毎日天気がいいのはいいですが、日中暑いので、移動がしづらいです。

夜もアスファルトの熱が抜けきれないので、テントで寝るのも暑いです。

自然を見るとき以外は、曇っていてもいいですよ。

今日も1日お疲れさま。また明日。

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