昨日は涼しい夜でした。
浜名湖沿いの宿場 新居宿
今日は宿場からです。
新居関所に来ました。
ここは、箱根の関所と同様に東海道の要所でした。
浜名湖は今は道路で繋がっていますが、かつては船で渡るしかありませんでした。
今は埋め立てられていますが、当時はここが浜名湖の岸の船着き場でした。
江戸からやってくる時は、船から上がりここで厳しい取調を受けます。
役人が居るこの建物ですが、主要な関所の建物としては唯一現存するものです。
関所廃止後も、役所や小学校として使用されていたため、建物が失われることがありませんでした。
ほかの失われた建物も復元作業をしているため、徐々に昔の姿に戻っていくのでしょう。
関所の近くには、紀伊国屋という旅籠屋の建物も残っています。
奥のこの部屋が、お偉いさんの部屋です。
床の間があったり、庭もよく見えます。
2階は一般客用ですが、相部屋だったそうです。
天井がふすまの高さとほぼ同じで、かなり低いです。
相部屋のため、客同士でトラブルが起き、喧嘩したときに物を振り回せないためだそうです。
当時の食事も展示されていました。
この辺りは昔から鰻が名物だったそうですが、今と同様、高級品だったようです。
この旅籠屋のすぐ近くにも別の古い建物が残っています。
小松楼と言う建物です。
ここは芸者の置屋として使われていた場所です。
ただし、明治になってからのものですが。
江戸時代は厳しい関所の時だったので、遊ぶような場所ではなかったそうですが、明治になり、漁業で栄えたり、官公庁などが出来たため、歓楽街となりました。
多いときでは11件ほど置屋があったそうです。
1階は住居や支度部屋として使用されていました。
小料理屋も兼務していたので、2階では芸者さんも付いて料理を楽しめたそうです。
当時働いていた芸者さんの写真も飾られていました。
佐吉の家
私は知りませんでした。
佐吉が静岡県の出身だったとは。
佐吉とは日本を代表する大企業、トヨタ自動車の創業者である豊田佐吉のことです。
トヨタの本社は愛知なので、てっきり愛知県出身だと思っていました。
その豊田佐吉の生まれた場所が記念館となっています。
記念館の中は機織り機が並んでいます。
トヨタ自動車も元は機織り機の製造会社でした。
機織りをしている人をみて、効率が悪いなと感じ、織機づくりをすることとなります。
初めに作ったものがこれです。
この機織り機のおかげで、今まで両手で作業しなければいけなかったものが、片手のみで作業が出来るようになりました。
その後、自動化に成功したものがこれです。
このように写真を撮りながら機械を見ていたのですが、スーツを着た団体さんが入ってきて、 実際に機械が動くところを一緒に見させてもらいました。
さすが、世界のトヨタです。
飾ってあるだけでなく、いまだに動かせるように整備もしているんですね。
たまたまいたおかげで、通常は見られないものを見ることができました。
すぐ近くには復元された生家もあります。
幼少期はこの家で、過ごしていたそうです。
それほど大きな家ではなく、裕福というほどではないですが、貧乏でもなかったようです。
裏山には日本の原風景を思い出すような風景もあります。
実際にこのような所に住んだことはないのですが、どこか懐かしく感じるのはなぜなのでしょうか。
愛知突入
静岡を出て、愛知県に入りました。
豊橋にある地下資源館に来てみました。
宝石の原石や鉱物がたくさん置いてあります。
こちらは誕生石。
私は9月生まれなのでサファイヤだそうです。
ほかにも、重さ100kg以上の、世界最大級のトパーズも見ることができます。
夕方までまだちょっと時間があるので、宿を探す前にちょっと寄り道です。
ここまで来ました。
岩屋観音です。
山の山頂に観音様が建っています。
遠くを見渡せる、眺めがいいところです。
ただ、頂上まではこのような岩場を登ります。
行く方は歩きやすい靴で行ってくださいね。
岩場の下はお堂と、名前の由来になった岩窟があります。
行基というお坊さんが、ここに千手観音を彫ったのが始まりとのことです。
岩場の周りにも多数の仏像がいて、ちょっと異様さもある不思議な場所でした。
おわりに
今日の移動 静岡県湖西市から愛知県豊橋市
今夜は中秋の名月。つまりお月見です。
皆さんの所からはどんな月が見えていますか。
今日も1日お疲れさま。また明日。
コメント