[日本一周 後半戦]55日目 福井 敦賀~

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6/4 梅雨ではあるのですが、連日の晴れです。

まるで梅雨入りを感じさせない毎日です。

個人的にはすごくありがたい。

スケジュールを立てるのがすごく楽です。

このまま晴れが続いてくれると良いな。

信長の撤退戦

今日は城跡からスタート。

金ヶ崎城跡に来ています。

織田信長の撤退戦として有名な金ヶ崎の退き口の舞台です。

まずは登ってみましょうか。

まず見えてきたのは神社。

ここも城跡の一部でしょうが、本丸はまだ先。

この石碑の先から本格的な城跡散策のスタートです。

道は舗装されているので歩きやすい。

階段もありますが、よく整備されている印象。

暫く歩くと見えてきた、開けた場所。

ここが、本丸として機能していた月見御殿跡です。

きれいな海が見えます。

ちょっと視線をずらすと、火力発電所なのか大量の石炭。

月見御殿からさらにちょっと歩くと、兵糧庫跡が出てきました。

朝倉勢のこの城を織田勢が攻略した際に焼かれてしまったそう。

織田勢はここを攻略したのち、さらに一乗谷城へ進軍しようとしますが、義理の弟、浅井長政の裏切りで朝倉、浅井に挟み撃ちにされてしまいます。

それによる撤退戦が金ヶ崎の退き口と呼ばれる戦いです。

とりあえず、散策を続けていきます。

近くに見えた空堀のようなもの。

先に進むとまた登り。

その後はなぜか下り。

案内の表示もなくなってきました。

舗装も無くなり、山道のようです。

不安になり地図を見てみると別の山へ続く道みたいです。

これはまずい、引き返さないと。

来た道を戻り、無事に下山。

信長はここから京へ撤退しましたが、私はそのまま朝倉領へ進軍。

そのまま北上しますよ。

メガネシティ

メガネといえば鯖江、鯖江といえばメガネ。

それくらいメガネの印象がある鯖江に来ました。

そして立ち寄ったのはめがねミュージアム。

ここでメガネの歴史を学びます。

私もメガネ掛けてますしね。

メガネは1400年頃にヨーロッパで生まれたそうです。

日本に来たのは室町時代。

あのフランシスコ・ザビエルとともにやってきたそう。

鯖江が関係するのはここからかなり先の明治時代。

現在の福井市生野町に住んでいた増永五左衛門が貧しい暮らしをなんとかするために始めたのがメガネ造り。

それが隣の鯖江にも広がり、一大産業になりました。

これがそのころの眼鏡。

今では鯖江、福井合わせて国産メガネフレームの95%を制作するほどになりました。

当時の制作工程の展示も。

有名人のメガネも多数展示されています。

これはメガネコレクターでもある大村崑のコレクション。

ミュージアム内にはショップエリアもあり、メガネを買うこともできます。

国産メガネなので値段はそこそこ。

買う気もないし、休憩も済んだし、先へ進みましょう。

事前準備

再び、朝倉攻めです。

朝倉氏の本拠地の一乗谷まで来ました。

戦をするには情報収集からということでまずは資料館に入ります。

ここである程度勉強してから周りたいですし。

常設展示は一乗谷で発掘された出土品が多く展示されています。

この辺は日用品。

焼き払われた建物の部材も出土しています。

また職人さんの道具なども多く展示されています。

これは薬屋や医者の道具ですね。

こんな将棋の駒なんかも。

この辺は高級品。

このように出土品からは一乗谷がかなり栄えていたことがわかります。

朝倉氏当主の館も資料館内に復元されています。

元々の場所とは別の場所で復元しているのは珍しい。

面白い試みですね。

また、この資料館の建設の際に発見された遺構も展示しています。

この石が敷き詰められた道のようなものです。

船着き場の跡なのか道として使われたものなのかいまだに分かっていないそうですね。

このようにひと通り見ていて気が付きました。

ここ一乗谷は簡単には見終わらないと。

規模が大きすぎます。

そして今はもう夕方。

かなり時間がかかるので今日全て見るのは不可能です。

実際の散策は明日。

今日は事前準備だけにしておきます。

おわりに

一乗谷は想定以上の大きさでした。

明日の散策もかなり時間がかかることでしょう。

それと、福井名物のソースカツ丼を食べました。

明日に備えての栄養補給です。

戦に「カツ」なんてことも言いますしね。

今日も1日お疲れさま。また明日。


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