今日は日本一周をすることになった経緯について書いてみたいと思います。
旅への目覚め
はじめて日本一周を認識したのは中学生の頃だったような気がします。
ただ漠然と日本一周だとか世界一周の言葉に惹かれただけだったと思います。
次男でもあるので、実家からは出るものだとも思っていたので、他の地域に興味が有ったのかもしれません。
高校生になってからも、特に変わったことはありません。
原付バイクの免許を取って、行ったところといえば霞ヶ浦を一周したくらいですね。
高校3年になり、当然卒業後の進路を決めるのですが、その時は実家を出てみたいという思いが強くなりました。
地元が嫌いなわけでもなく、都会に憧れがあるわけでもありませんでしたけれど。
実際、住んだのは千葉県大栄町(現・成田市)で田舎でした。
そして、20歳になって学校の研修旅行でタイに行ったときに、初めて旅が好きになったような気がします。
はじめての海外旅行で約1週間なのでスーツケースをどうするか、インターネットで調べていました。
大多数の人はスーツケースを使い、旅行をしますが、そうでない人もいることを知りました。
バックパッカーです。
スーツケースを使わず、海外をバックパック1つで渡り歩く人たちを単純にすごいと思いましたね。
そういった憧れもあり、バックパックを買ってタイ旅行に行くことにしました。
その時のクラスメイトの中ではスーツケースを持っていないのは私だけでした。
機内持ち込みも出来るサイズだったので、荷物の受け取り待ちも無く楽だったことは覚えています。
ただ、旅行自体は基本的に学校の作ったスケジュール通りでしたので、自分の思い通りに動けることは出来ませんでした。
最終日くらいは自由な日だったと思いますが、その日は一人で街中を歩いてみました。
どこに行こう、何を食べようなどいろいろ考えたのを思い出します。
不安もありましたが楽しかったですね。
この研修旅行から旅が楽しいものだと認識しました。
その後22歳の時にも学校の研修旅行でイギリス、フランスと行きましたね。
その時も自由時間は一人で行動していました。
ただ、さすがに荷物が多かったので、スーツケースを持っていきましたけれど。
現実路線へ
就職活動をする頃になると、今後どうするかみなさん考えますよね。
旅に興味が出てきて、就職などせずにバックパッカーになると生粋の旅人の様ですが、私はそうはなりませんでした。
普通に就職活動をします。
現実的ですね。
ただ、地元は違う所に住んでみたい気持ちが強かったので、全国転勤のある会社に行こう決めました。
地元の企業で働くより、給料も良かったですし。
転勤でいろいろな所に行けば、それで旅行気分になれるかと思っていました。
そこで就職したのが保険会社でした。
はじめての配属は横浜です。
地元以外が希望と会社には伝えていたのでその通りにはなっているのですが、本音を言えばいっその事、関東を出たかったですね。
文化の違う所のが面白そうでしたので。
まあ、田舎者の自分にとっては都会の暮らしも知ることが出来たのは良かったことです。
旅をするようになったのがこの頃からですね。
連休を利用して、箱根、伊豆、大阪も行きましたね。
観光名所めぐりしたり、その土地の名物を食べたり、楽しみました。
その後は大阪へ転勤となるわけです。
初めて関東から出ての生活だったので、楽しみもありましたが、不安もありました。
業界として大阪はあまり良い地域ではない印象がありましたので。
仕事は別にして、生活は楽しかったです。
関東と関西ではスーパーマーケットでも売っているものが違っていたりしますから。
混ぜて焼くだけのお好み焼きのセットなど、関東にはありませんし。
西日本の旅が簡単になったのも良かったです。
関東に居るとなかなか西日本は行けないですが、大阪からなら時間も少なくて済みます。
京都や奈良も日帰りで行けてしまいますし。
それなので、大阪勤務時代は名古屋、金沢、和歌山の熊野古道、広島、屋久島などいろいろ行きました。
葛藤の時期
旅行に行くのは楽しかったんですけれど、問題が出てくるんですよ。
まず、旅から帰る日が近づくと憂鬱になってきます。
もともと、仕事自体好きではありません。
あくまで生活のための仕事と割り切っていました。
自宅に帰ってからはまた仕事かと思うと気が重いんですよね。
年齢は29歳のころでした。
新人時代とは違って、年次相応の仕事もすることになるので忙しくもなってきます。
そんな時に考えるわけです。
なんのために仕事をしているのかを。
入社したときは、もちろん生活のためです。
生きていくために仕事をしていました。
そして、何年か経ってくれば給料も増えてきます。
ただし、私はもともと欲自体あまりない人間です。
車、時計、服など高価なものを欲しくなる性格ではありません。
もちろん、必要なものにはお金を出しますが、浪費はほとんどしない人間です。
そうなると、ふと気付くわけです。
生きるためにそんなにお金はいらないなと。
仕事自体、もともとは生きていくため、遊ぶためにしているにもかかわらず、お金をもらう代わりに遊ぶための時間がどんどん削られていることに気が付きます。
さらに、疲れが貯まると、休日が体を休めるために使ってしまい、思いっきり遊ぶことも出来ません。
お金はあるが、遊ぶ時間、体力がない。
こんな生活、楽しくないですよね。
ただ、会社は今よりもっと働いて、いい給料をもらう事を推奨してきます。
会社と自分の価値観の違いも次第に大きくなってきました。
会社が言っていることは、お金のためにもっとつまらない時間を増やせと言われているようなものじゃないですか。
そんな人生は私は嫌でした。
確かにお金がないと暮らしていけないのは事実です。
ただ、お金のために自分の時間を犠牲にするのはもったいないことです。
実際に会社には言いませんでしたが、給料が1/3減っても、週1日多く休みを取れた方が良いとすら思っていたくらいです。
1か月ほど会社を休んだことはありましたが、それでもなんとか仕事をしていました。
ついに決意
2年ほど過ぎ、その間に神戸への転勤もありました。
転勤によって環境は少し変わりましたが、仕事のモチベーションは依然上がりません。
そこで、腹をくくります。
これからは楽しいことをしようと。
仕事を続けたとして、この生活をあと30年続けるのは無理だと判断しました。
そこで会社にも退職の意向を伝えました。
あとは何をするかですけれど、やっぱり旅だと思うわけですよ。
日本一周は死ぬまでにやりたいことの一つでもありましたし。
やりたいことをやったほうが人は幸せになれると信じていました。
そして、会社を辞め、日本一周の旅をすることになるのです。
最後に
日本一周の旅をしていると、いろいろと声をかけられることがあります。
その中で、なんのためにやっているのか聞かれることがあります。
その時、私は「ただの遊び」と答えるようにしています。
シンプルに楽しいからやっているだけです。
収入は無くなりましたが、以前の生き方よりこっちの生き方のが笑ったり楽しんでいられる時間が多いと思い、私は幸せになるためにこの選択肢 に賭けました。
遊べるだけ遊んだほうが、人生幸せになるはずです。
私はそう強く信じています。
最後に、これを読んで「馬鹿なこと書いているな」と感じた方もいるとは思いますが、本当に幸せな生き方をして最後死ぬときに笑っているのはどちらでしょうか。
正直、どっちが幸せなのか勝負をしても良いくらいに思っています。
きっと私はその勝負、負けませんよ。
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