12/23 昨夜の雨は上がっていますが、そのせいか露ですごいことになっています。
あーもう。テント、寝袋、すべてがびしょびしょ。
ほんと、やめてほしい。
山口県庁到達
まずは都道府県庁を回収しておきます。
山口県庁ですね。
都道府県庁は26か所目になりました。
県庁所在地ですが、あまり栄えていない印象です。
山口の中心地ですよね?
戦国時代の大大名
山口には西国随一の大大名がいたことを知っているでしょうか。
最盛期の大内義隆の時代には、山陰・山陽・北九州にわたり6か国を治めていました。
その館の跡地がこの場所です。
龍福寺というお寺となっています。
大大名の居館なので、さぞ立派な何かがあるかと期待しましたが、復元された土塁がある程度です。
お寺自体も大内氏の菩提寺とはなっていますが、後にこの地を治めた毛利氏によって建てられたものです。
大大名を思わせるのは敷地の広さくらいでしたね。
最期も家臣の裏切りで死んでしまったからでしょうかね。
宣教師
この人、山口にゆかりのある人物です。
皆さんご存知、フランシスコ・ザビエルです。
この肖像画の方が有名ですね。
ゆかりがあるからこそ、このような立派な山口サビエル記念聖堂が建てられています。
サビエルと濁点がついていませんが、なぜか山口ではフランシスコ・ザビエルのことをサビエルと呼ぶそうですのでそれに合わせたいと思います。
ここではサビエルやキリスト教の布教に関する展示がされています。
そうでした、もうすぐクリスマスですね。
そのせいでしょうか、入り口にはこのオブジェがありました。
キリストの生まれる様子を表しています。
しかしキリストの姿は見当たりません。
ただ、こんな表示が。
25日になると赤ちゃんのキリストの像が置かれるのでしょうね。
中は資料館のようになっています。
サビエルの生涯をパネルなどを通して追っていくことができます。
先ほど言ったサビエルと山口の関係をこれから説明します。
遠くスペインから布教のために日本に来たサビエルですが、山口ではなくもちろん都である京を目指します。
しかし京に着いたサビエルは驚愕します。
京の都は戦でかなり荒れ果てていたのです。
ここでは不況は難しいし、なにより危険だと判断し、サビエルは引き返すのです。
その道中で山口に寄ります。
ここに居たのが、先程の大大名、大内義隆です。
大大名のお膝元である山口は、京とは打って変わって平和でした。
サビエルは大内義隆にも気に入られ、住居用の廃寺も貰います。
それが、今はサビエル記念公園となっている場所です。
サビエルはここで4ヶ月ほど暮らしました。
山口では500人程も洗礼を授けるほど、熱い保護を受けました。
山口とサビエルにはそんな繋がりがあったのです。
その後は帰国することになるのですが、出発の翌年に帰路の途中にサビエルは病にかかり亡くなってしまうのです。
繋がりが分かったところで、サビエル記念聖堂に話を戻しますね。
この記念聖堂には、サビエル以外の展示もされています。
これ、なんだかわかります?
実は踏み絵の現物です。
豊臣秀吉の時代になると、キリスト教が禁止されますよね。
いわゆるキリシタンの弾圧です。
そこで使われた踏み絵がこれです。
私にはよくわかりませんが、信心深い人だったらやっぱり踏みづらいのでしょうか。
聖堂と名がつくだけあって、儀式を行う祭壇もあります。
この片隅にはサビエルの骨とされているのものもあります。
これ本物なんですか?
おわりに
今日の移動 山口県防府市から山口市
成果 山口県庁到達 都道府県庁26/47
サビエル記念聖堂ではおみくじもありました。
引いてみた結果がこちらです。
「人とのつながりが大事」ということで合ってますか?
まあ、そういうことにしておきましょう。
今日も1日お疲れさま。また明日。
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