2/9 今日は鹿児島観光です。
戦の痕跡
桜島が見えます。
ここは城山公園。
桜島の展望スポットで有名ですが、私の目的は別のところです。
このドン広場です。
正午の時報として空砲が打たれたためドン広場と名付けられたそうです。
この奥にある石碑を見に来ました。
「明治十年戦役薩軍大本営」と書かれています。
そうです。昨日に引き続き西郷さん、関連です。
特に今日は西南戦争に関わる場所を巡ります。
西南戦争で西郷さん達は、熊本まで進軍しました。
ただ、徐々に劣勢になり、とうとう薩摩まで引き返してきました。
その時に陣地を築いていたのがこの城山でした。
はじめは30000人も居た兵士も、鹿児島に戻ってきたときにはたった400人ほどとなっていたようです。
周りは完全に明治政府軍に包囲されています。
城山から少し下ったところには、砲撃などから身を守るための洞窟も残されています。
追い詰められた中でも命をつなごうとしたのでしょう。
そしてこの洞窟を出て、さらに下ったところで、銃弾を受けてしまいます。
そして「もうここでよかろう」と、この場所で切腹をし、亡くなりました。
それがこの終焉の地です。
明治政府の立ち上げに尽力した西郷さんが、明治政府によって殺されてしまうという、なんとも悲しい最期です。
終焉の地の近くには、当時の銃撃が感じられる場所もあります。
私学校跡の石塀です。
多数の銃弾により塀が削られています。
こんな銃撃で西郷さんも死んじゃったんだろうな。
手紙
西郷さんの後に来たのは、鶴丸城跡にある黎明館です。
歴史の博物館ですね。
鹿児島の歴史や、島津家の歴史などを一通り見ました。
ただ、一番面白かったのは、企画展の「あの人の家族への手紙」です。
幕末の時代の家族への手紙に焦点をあてた展示です。
幕末の時代なので、電話はありません。
郵便もまだ無い頃なので、手紙も頻繁に送ることができません。
そんな時代に家族に宛てた手紙にはいろいろなものが書かれていました。
その中で面白かったものがありました。
1つ目は武家の息子から親に当てた手紙です。
武士といえばちょんまげですが、ちょんまげ嫌だなあと思っていたのでしょう。
こんな手紙を送っています。
「髪伸ばすことにしたからよろしく。家老の許可も取ったよ」
というものでした。
髪型さえも自由にできない時代だったことがわかります。
また、土佐に嫁いだ江戸生まれの姫様が実家に
「この前も書いたけど、なんとかして江戸に戻してもらえない?ほんとマジで」
と訴えているものもあったりします。
土佐が嫌だったのか、江戸が好き過ぎたのか、どちらかは分かりません。
本音だだ漏れの面白い手紙です。
そして私の一番のお気に入りはこれです。
「イギリス人グラバーの家に行って、いろいろ歓待を受けて楽しませてもらった。まあメシマズだったけれど。」
最後にオチをつける手紙。さすがです。
家族だからこそ送れる内容というのが面白いですね。
今紹介したような変なものだけではなく、ちゃんと真面目な内容のものもたくさんあります。
手紙には人柄が出ているのも感じました。
私の書く文章にもきっと人柄が出ているのでしょう。
おわりに
今日の言う移動 鹿児島県鹿児島市のみ
手紙の企画展で時間を多く使ったので、今日は鹿児島滞在です。
明日もちょっと鹿児島市内を周ろう。
県庁も行かなきゃ。
今日も1日お疲れさま。また明日。
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