[日本一周 後半戦]194日目 岩手 平泉~

スポンサーリンク

10/21 昨晩は道の駅の休憩室で過ごしたから、あまりゆっくりできなかったな。

天気は今のところ曇り。

昼くらいから雨が降るらしいので移動はどうしようか。

とりあえずはまた平泉を少し散策しよう。

今日も寺院跡

観自在王院跡という場所に来ました。

ここも昨日のような寺院跡です。

ここを立てたのは奥州藤原氏の二代目基衡の奥さん。

基衡が亡くなってから造ったもののよう。

ここも建物は残っておらず、遺構がメイン。

まあ、景観の良い公園として見るのは良い。

なんだか晴れ間も見えてきた。

昨日の無量光院と同様に池があって島があってその奥にお堂という造りは変わらないですね。

ここが阿弥陀堂があった場所。

横には墓石が。

これは基衡の奥さんのお墓。

今ある阿弥陀堂は明治の頃に建てられたもの。

こっちは道路の跡。

今は発掘作業中のようです。

それでもかなり広い道だったようですね。

この土塁のところも昔は塀があって、周囲をちゃんと囲んでいました。

そして門の跡。

この観自在王院跡の隣には旦那さんの二代目基衡が造った毛越寺があります。

こっちも見てみようかな、どうしよう。

でもこっちは有料か。

それにどうせ当時の建物は残っていないから、今見たのとそんなに変わらないだろうな。

行くのはやめよう。

聖なる山

観自在王院跡を後にして、金鶏山にやってきました。

この山も世界遺産の一つ。

ちょうど入口には義経の妻子のお墓。

軽く手だけは合わせておく。

金鶏山の入口はこっち。

かなり急な坂道。

上りきると祠があります。

でもこれだけ。

さっきのパネルを見ると、奥州藤原氏にとっては聖なる山として崇めていた様ですね。

ここからいろいろと発掘もされたようですが、今来たとしても「へえ、そうなんだ」くらいしか思わないそんなところ。

こっちは政庁

道の駅の近くまで戻って来ました。

というのも、道の駅の隣には遺跡があるから。

柳之御所という遺跡。

こちらは奥州藤原氏の政庁だった場所です。

もとは初代清衡、二代基衡の居館だった様です。

それを三代の秀衡が政庁にした。

大きな堀が目立ちますね。

やはり寺院とは様子がだいぶ違います。

でも池があるのは同じ。

この大きな建物が中心的なものだったらしい。

復元でもしてくれればそれなりの景観になって良いのにな。

遺跡の外れには汚物廃棄穴なるものが。

当時の肥溜めみたいなものか。

でもここから当時の食べ物とかもわかったのでしょうね。

さて、今日見たいところは行き終わったけど意外と天気は持っているな。

明日のために少しだけ移動しておこうか。

おわりに

岩手のほぼ南端まで来たので、明日には宮城に入ります。

岩手でも海沿いの震災遺構を見に行きたかったのですが、ルート的に厳しかったので見れませんでした。

でも、宮城では見たい。

ということで気仙沼の方から宮城は入るか。

気仙沼といえばフカヒレか。

高級品だから多分食べないだろうな。

今日も1日お疲れさま。また明日。

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村

ブログ村に参加しました。ほかの方のブログもぜひどうぞ。

日本一周 後半戦
スポンサーリンク
スポンサーリンク
フォローする
だいじだっぺ

コメント